Opus Dei オペラな日々 第6回 ベルカント唱法は超自然

稲垣俊也
オペラ歌手(二期会会員)、バプテスト連盟音楽伝道者

稲垣俊也 幸いなことに私は、声楽家として様々な機会で歌わせていただいておりますが、歌うごとに音楽の豊かさによって心身が育まれ、新しい自分が創り上げられていく感動を禁じえません。私はクラシック音楽にたずさわる人間ですが、新しい年も古くて(クラシック)、最も「新しい歌」(詩篇九六篇)を歌っていこうと思っています。”良い歌”を歌うべく、思いを新たにしてまいりたいと願います。

音声の美とは何か?

 音声とは、人の発声器官から出て言語を形成する「音」と「声」です。声楽表現による音声の美しさは、ベルカント唱法によってもたらされると信じてやみません。“ベルカント=Bel canto”とは“良い歌”という意味です。これは良い音声としての歌を提供するための歌唱法です。

 では、万人共感の美しい音声とはどんな音なのでしょう。強力なエネルギーに満ち満ちた音声でしょうか。いやいや、いつ聞いても、何時間聞いても快く感じるのは、丸く暖かく包み込むような音声ではないでしょうか。

 イタリア人もこれらの音声を“ロトンド=丸みを帯びた”や“クーポラ=教会の円蓋、ドーム”と形容して、こよなく愛しています。

 人の心を励まし慰めることのできるのも、「しっかりしろ、俺について来い」というけん引力のある言葉ではなく、丸く包み込むような言葉ではないでしょうか。人はみな子守唄からレクイエムに至るまで、常にいやされ慰められ、暖かく育まれたいのです。

文明の利器を拒否?

 ベルカント唱法は、マイクなしで広い劇場に声を満たすことのできる唱法です。私たちオペラ歌手は、これだけ音響技術が発達した現代であっても、かたくなにマイクを使うことを拒否します。

 小川のせせらぎや木々のささやき、小鳥のさえずりやそよ風、そして心臓の鼓動や呼吸の時の息づかいなど、生きとし生けるものすべては、人に快適感を与える“1/fのゆらぎ”という共通のスペクトルを持っています。

 しかし、マイクを通した声は、この自然なゆらぎを著しく減衰させます。オペラ歌手は、素の自分の思いを何のフィルターも通さず、最も自然な形で伝えていきたいがゆえに、マイクを拒否するのです。

 このようにささやかな抵抗を続けるオペラ歌手を、時代錯誤がはなはだしい人たちと思われるかもしれませんが、せめて“超自然な人々”と呼んでいただけたら幸いです。

パッサージョとは

 ベルカント唱法のさまざまなテクニックの中で最も大切なテクニックとして、「パッサージョ=Passaggio」を挙げることができます。

 人の声は、主に三種類の区域を持っています。これを声区と呼んでいますが、低いほうから、胸声区、中声区、頭声区となります。歌われる音域や歌詞内容によって、これら三つの声区を適宜選択して、自由に通過し行き来する(パスをする)テクニックがパッサージョです。とりわけ、日常生活では使うことのない頭声区へのパッサージョを会得するまでには、かなりの年月を要します。

パッサージョは不自然? 超自然?

 ところで、ロシアにはこのようなことわざがあります。

 「神は私たちにクルミを与えるが、それを割ってはくれない」。日常の出来事は、机の上を転がるクルミのように過ぎ去っていきます。たくさんの人との出会いもありましょう。しかしその大多数が「可もなく不可もなく」といった交わりに終わってしまい、本当の出会いと呼べるものを見いだすのは困難です。いろいろな出来事が流れる中で、私たちはその中にある実を取り出すために殻を割っているでしょうか。

 神様は、日常の中にすばらしい宝物をそこここに隠しておられます。神様は私たちに、それを発見する喜び、それを利用する自由を残しておられるということを前述のことわざが物語っています。

 よくクラシックの発声を不自然だと言う方がおられます。前述の頭声区は“非日常”のものだからです。地声で歌う方が日常的といえましょう。しかし、いかがでしょう。日常的でないものを“不自然”と一蹴するのではなく、日常の中にひそむ“宝物”や“実”を発見することで日常を“超日常”で“超自然”とさせていただこうではありませんか!

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