自殺は止められる 第3回 ポッキリ折れる中高年男性

碓井真史
心理学博士

 十年前は二万人ほどだった日本の年間自殺者が、三万八千人へと急増しています。その増加部分の多くが中高年男性です。自殺をした中高年の多くが、本人も気づかないまま、うつ病になっていたようです。うつ病になると、症状の一つとして自殺への思いが強くなります。自分は無価値で死ぬしかないと思いこんでしまうのです。

 あるうつ病の男性は、ボールペンが見つからなかっただけで死のうと思ったと語っています。ある女性は、こんなだめな母親など死んでいなくなってしまったほうが子どものためだと、その時は本気で思ったと話してくれました。

 うつ病になっても、多くの人は自覚できません。自分が今、抑うつ状態に陥っていると冷静には判断できないのです。たいていの場合は、まず体の不調を覚えます。内科を受診して、異常なしと言われる人もいるでしょう。仕事がはかどらないと感じる人もいます。新聞を読む気がなくなる時もあります。さらにうつ病が進めば、楽しみにしていた趣味も、あるいは賛美や聖書を読むことさえ、苦痛に感じてきます。そして、死への思いが湧いてくるのです。

 うつ病になる人の多くは真面目な人です。仕事や奉仕ができないことで、自分を責めます。周囲も善意とはいえ、無理に励ましたり、活動させたりしようとすることで、症状を悪化させてしまうことも多々あります。

 俳優の竹脇無我さんも、かつてうつ病でした。しだいに元気がなくなる竹脇さんを見て、マネージャーは仕事こそが薬だと思い、重要な役を演じる良い仕事を一生懸命取ってきました。その結果さらに竹脇さんを苦しめてしまったと、後で後悔されていたそうです。

 うつ病は脳の病気です。改善のために必要なことは、仕事でも趣味でもなく、適切な薬物療法と休息です。薬などで改善するわけがないと感じていた一見深い人生の悩みも、抗うつ剤を使用することで消えていくことも多いのです。また、うつ病の時に励ましてはいけないというのはよく言われることですが、「早く良くなれ」と励ますのではなく、「きっと良くなる」と伝えることが大切です。

 うつ病には休息が必要といっても、彼らにとって一番難しいことが休むことです。ゆっくり休めと言っても、彼らは早く復帰したいと思うのです。ですから、一日でも早く良くなるために今はじっくり休息しようと伝えましょう。

 「いつも喜んでいなさい」と言われているクリスチャンにとっては、なおさら辛いかもしれません。しかし神様は、心や体がどんなに辛くても作り笑いをしていろと命じているのではありません。「いつも喜んでいなさい」の前には、「弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい」(Ⅰテサロニケ五・一四)とあるのですから。

 旧約の大預言者エリヤもうつ状態になりました。自分の死を願い、自己否定的な言葉を出した時、主がなさったことは説教ではなく、休息と栄養を与えることでした。(Ⅰ列王一九・四・八)。ただそれだけのことなのに、エリヤは再び元気を出して長い旅を続けるのです。

 ノートルダム清心学園理事長でシスターでもある渡辺和子先生も、うつ病を経験されました。うつのために、宗教者であるのに自殺を考え、神様を恨む気持ちにもなったと告白されています。そんな時、クリスチャンの精神科医が、「この病気は信仰とは関係がありません。罪悪感を持つ必要はないのです。必ず良くなります」と言ってくれたそうです。

 たとえばインフルエンザで四十度の高熱を出している人をたたき起こし、大きな声で賛美しましょうと強要する人はいないでしょう。ところが、脳の病気で心に症状が現れるうつ病は、他者からの理解を最も必要とする病気なのに、最も理解されにくい病気になってしまっています。

 自殺率が急増している中高年男性は、女性に比べて弱さを自覚し表現しにくいという弱点をもっています。家族や友人とおしゃべりをしてストレスを発散することもできません。多くの男性は、弱味を見せることが苦手なのです。

 それでも以前の日本であれば、中高年男性は職場や家庭内で尊敬されていました。しかし今や終身雇用、年功序列は崩れ、父親としての権威も失墜しました。中高年男性は自殺率と共に犯罪率も高まっています。また失業率と自殺率はこれまでリンクしてきました。社会構造の変化と大不況の中、今日本の中高年男性は危機的状況にあります。

 自殺する中高年男性は、必死で家を守り、プライドを守ろうとしてがんばり、ポッキリと折れていきます。ローンの支払いをあきらめ、家を売り、自己破産や生活保護を申請するような人は、自殺をしていません。潔い死ではなく、かっこ悪くても生きていく、じたばたとしながら生きていく道を選びたいものです。

 そのためには、聖書が語る弱さの中にこそある強さを知る必要があります。貧しい者が献げたレプタ二枚の価値を認め(ルカの福音書二一・二、三)、悲しむ者は幸い(マタイの福音書五・四)だと、イエス・キリストは語るのですから。

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