時代を見る目 134 ひとりで生きる智恵(1) だまされるな、独身者

安藤理恵子
キリスト者学生会主事

 「なんでいつまでもひとりでいるんですか、もったいない」とほめて(?)くれた人がいたが、その人は私をよく知らない人だ。「人がひとりでいるのはよくないってありますよ」と兄姉は諭すが、これは聖書を部分的に強調した適用だ。話の最後に「必ずいい人が備えられてるよ」とまとめる人が多いが、よく言われる言葉のわりには聖書的根拠はない。結婚という一事に関して、人はどうして非論理的、非聖書的なアドバイスを乱発するのだろう。私たち独身者は教会の外での親切かつ無責任な励ましと責めに十分疲れている。せめて教会では、本気にしても安全な、確かな助言と希望を分かち合うものでありたい。

 実際、神は独身者に伴侶との出会いを確約してはいない。約束されているのは、伴侶がいてもいなくてもキリストは共におられるということと、必要なものは必ず与えられるということだ。どうなるかわからない将来への期待をむりやり鼓舞するよりも、今後数か月は必ず続くであろう自分の独身生活が、神を知る喜びとなるよう励まし合おう。ひとりでいても、いやひとりでいるからこそ、こんなに祝福を享受できる……そういう境地があることを、昔からの真理として新たに体験しようではないか。

 「孤独でいるのが寂しい、こわい」とあなたは言うだろうか。誤解してはいけない。既婚者もまた孤独なのだ。「誰かが隣にいさえすれば満足する」と今のあなたは言うだろうが、その程度のことで満足できた夫婦は人類史上一組もいない。今あなたがひとりの時に平安と喜びを得られなければ、相手を得たとしても自分のためにその人を利用するだけで、その人自身を愛することは決してできないだろう。

 独身者よ、卑屈さと自己憐憫に憩うのをやめなさい。焦りやねたみを生み出しているのは、周囲の状況や声ではなく、あなた自身の罪なのだ。そこに逃げ込んでいるかぎりあなたには真理がわからない。あなたがそこを出る決意をしなければ、だれもあなたを助けられない。あなたに信仰はあるか。神を主権者だと信じるか。ならばあなたの岐路は結婚できるかどうかではなく、今、主とともに生きるかどうかなのだ。主を、混乱した心の隅々に迎えなさい。孤独のただ中で、だれよりも孤独を正確に理解するキリストの深い励ましに出会いなさい。そのときあなたは、だれもいない部屋の中に、善意あふれる完全な助け手の存在を見いだすのだ。

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