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だれに向けて? 何のために? 〈フォレストブックス〉シリーズの創刊から一年がたちます。昨秋、五点を同時発売したのを皮切りに、現在まで十一点を刊行しました。 このフォレストブックスは「だれに向けて」「何のために」つくられているのか、お話しさせていただきたいと思います。 少し以前のことになりますが、私どもいのちのことば社の月刊誌『百万人の福音』から、一九八五〜九四年にわたって別冊増刊号『百万人の福音スペシャル』を発行しました。これはノンクリスチャン向けのプレゼントに用いることができるようにとつくったものでした。本来、『百万人の福音』そのものが伝道誌として誕生し、実際そういうかたちで利用してくださっている方たちもいましたが、長い歴史を重ねていくうちに、定期購読者としては圧倒的にクリスチャンが中心になってきたため、別に「伝道版百万人の福音」が求められたのです。 さて、そのスペシャルが年によっては注目されるものとなり、単行本化されていきました。星野富弘・三浦綾子対談『銀色のあしあと』や、水野源三の生涯と作品『こんな美しい朝に』、レーナ・マリア『マイライフ』などがそうです。これらの本は、いのちのことば社刊ではありますが、本が生まれたいきさつや目的、また本の印象において、小社の他の信仰書とは趣を異にしていました。それでマナブックスと銘打って、キリスト教専門店だけではなく、一般書店でも積極的に販売しました。 そうした試みの中で、編集部には多くの愛読者カードや反響が寄せられました。その中には、明らかにクリスチャンではない、教会にも行っていない人たちの声も多くあり、その方たちが喜んで聖書のことばに耳を傾け、クリスチャンの生き方に感動を受けている様子が伝わってきました。これは希望であり、本をつくらせていただいている者として最高の喜びでした。この文書伝道の流れを消してはいけない、育てていきたいという思いが芽生えていったのです。
真に伝道的な本とは? 少し長くなってしまいましたが、フォレストブックス誕生までの前史を語らせていただきました。 しかし、フォレストブックスは単なるマナブックスの延長ではなく、新しいコンセプトをもった本のシリーズです。マナブックスはあくまでも教会の方々に伝道に用いていただく、という発想から生まれたものでしたが、フォレストブックスは、一般書店でノンクリスチャンの人々が目に留め、求めていただくことを意図してつくっています。 キリスト教の伝道がしばしば相手の状況にお構いなく、「聖書の言っていることを信じなさい」「キリストの救いを受け入れなさい」と一方的に語る傾向があり、世の中の感覚から浮き上がったものになりがちな一面があります。 キリスト教書も例外ではありません。世の中の人が今、何に困っているか、何に不安を覚えているか。それには何をどのように提供したらいいか。そうした分析や認識、感性なくしては、本当に価値あることを伝えられる本は生まれないでしょう。 フォレストブックスの中で最も反響をいただいている本に『たいせつなきみ』(マックス・ルケード著)という絵本があります。この絵本には、ことばとしては「神」も「イエス・キリスト」もみことばも出てきません。ただ、ストーリーの伝えるメッセージが聖書的であり、みことばそのものになっているのです。 自分の価値がわからなくなり、自信がなくなっている人に、この本は「あなたを創造された神さまの目に、あなたは高価で尊い者です」と訴えかけます。 『たいせつなきみ』が現代の日本でよく読まれているということは、何を意味しているのでしょう。 今日、人間が自分たちの幸福を自らの知恵や力にのみ頼って追求してきた結果、急激な社会的混乱と人間疎外が起こってきているように見えます。コンピューターによって文明をリードしてきたアメリカを始めとする先進国では、ここにきて「二〇〇〇年(Y2K)問題」で不気味な社会不安に陥っています。ますます増大する子どもたちの不登校、学校崩壊も軌を一にした問題だと思います。 こうした時代にあって、宗教は言うに及ばず、教育、福祉、医療、芸術、そのほかさまざまな分野で、専門の知識や経験をもったクリスチャンが積極的に発言し、行動することが期待されます。聖書の示す不変の価値に出会うことを、世の中自体が求めているように思えてなりません。『小説聖書』(徳間書店)がベストセラーとなっている現実がそれを示してはいないでしょうか。 フォレストブックスはクリスチャンに発言の場、証しの場を提供していきたい、そして新しい文書伝道のかたちとして、新しい世紀に一石を投じる働きをしていきたいと思います。
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